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読売新聞特別編集委員橋本五郎さんの話 その2

3 自分は、18歳で家を出て、慶応義塾大学法学部に入学させてもらった。
  家の傍で、父や母の面倒をみたい気持ちはやまやまであるが、五城目には就職先が全くない。秋田市ま  ででも電車で3時間も掛かる。
  私は、両親に心の中で懺悔しながら、大学卒業後、読売新聞に入社した。

  両親は、子供たち全員を送り出してから、2人きりの生活になった。
  しかし、父は、57歳でがんで亡くなった。母が50歳のときである。
  そのときから、母が亡くなる90歳まで、40年間、母は1人で五城目で過ごすようになった。

  1人で暮らすのは、どんなに淋しかろう。
  私は、3日に1回は必ず電話をするようにしていた。
  「1人じゃ淋しかろう」と聞くと
  「いやあ、6人の子供たちのことを思うだけで楽しいよ。自分みたいに恵まれている者はおらんと思うちょる よ」と決まって返答した。

  私は、盆と正月には、必ず帰るようにした。母が心待ちにしているからである。6人の子供と配偶者と孫。   自宅は、小学校のクラスが1つ合宿したようだった。狭い部屋で男も女もなく、全員がごろごろと寝た。
  しかし、朝になるとやはり全員の食事が用意してあった。
  母は、決まって「1日早く帰りなさい。2日前に帰って、1日は自宅でゆっくりして、そして、会社に迷惑を掛  けないんだよ」というのが口癖だった。
  「盆が終われば1人の生活になる、1日でもゆっくりと居てほしい。」というのが、母の本心だったろうに …。
  そして、お盆休みが終わって帰る日、母はいつも涙ぐんで私たちを送り出した。

  母は、60歳で定年退職すると、生命保険の外交員を始めた。子供たちが送金しているので、また年金も  あるので、それほど不自由はなかったはずである。
  しかし、働き者の母は、じっとしているのが大嫌いで、耐え切れなかったのであろう。

4 母の危篤の知らせを受け、私は五城目に急いで帰った。
  病院に着いたとき、私は、次兄との間で激しい口論をした。
  次兄は、「お母さんは、きれい好きだった。我々子供はともかく、汚い姿を近所の人や孫たちに逢わせるの は、つらい。お母さんもそれを望んでいると思う」
  私は、強く反論した。
  「何が汚い姿なんだ。人間が亡くなるときの姿は、美しいはず。それを汚いと受け取る人が居れば、それは その人の気持ちが汚いんだ。私は、皆さんに最後に会っていただきたい。孫たちにも会わせたい。孫たち は、お婆さんの死に直面して、絶対に何かを学ぶはずだ。きっと美しいと思うはずだ」
  2人のやり取りを聞いていた長兄が、口を開いた。
  「よし、会わせよう。全員に会わせよう」

  私は、今でも全員に会わせたことは、正解だったと思っている。

5 通夜や葬式に来た人たちの話を聞いて、母がどれほど近所の人たちから大事にされていたかが分かっ  た。
  仏壇に、遺書があった。
  「私の人生は、本当に幸せでした。全く、悔いはありません」という内容だった。

6 私は、今、母のことを毎日思いだす。母が教えてくれたことはたくさんある。それが日本の政治に生かされ ているのだろうか。
  全国には、1人暮らしの老人がたくさん居る。これからも増え続けるだろう。老人とって一番嬉しいのは声を 掛けていただくこと、母も、いつも私からの電話を待っていた。
  政治家の方々には、お金をばら撒くだけじゃない、「人に優しい政治」をしていただきたいと思う。(完)

 弁護士 田中 清
by lawyer-tkg | 2014-11-22 11:26

銀座ファースト法律事務所の弁護士(弁護士田中清、弁護士若林諒、弁護士青木丈介、弁護士土屋賢司、弁護士小谷健太郎)が日々の業務を通じての雑感や法律トピックス等について、自由気ままに綴っていきます。


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